ここでは、江戸幕府の終焉の時期を中心に解説します。 江戸幕府はすでに行き詰り始めていたところで、ペリーの来航という出来事もあり、日本は鎖国を止めて開国することになります。 しかし、尊皇攘夷運動とよばれる動きも出てきて、開国すべきかそうでないかという点が、この時代の政治の争点となりました。なお、この時代はいわゆる「幕末」と呼ばれ、坂本竜馬や勝海舟などが活躍した時期でもあります。
【1825】外国船打払令が出される。 ◎しかし、この外国船打払令に基づき、日本人の漂流漁民を送り届けようとしたアメリカのモリソン号を砲撃したモリソン号事件(1837)が起こった。鹿児島や神奈川(浦賀)でモリソン号が砲撃を受けたことで、異国船打払令に対する批判が強まったため、1842年に廃止された。 【1833】天保の大飢饉が起こる。 ◎この飢饉で米が不足する中、買い占めをしていた商人らに対する不満から、大塩平八郎の乱が起こる(1837)。 【1839】蛮社の獄 ◎鎖国政策を批判した高野長英、渡辺崋山などが罰をうけることになった。 ◎上記のモリソン号事件とも関連が深い事件。どのように関連しているのか調べておこう。 【天保の改革】水野忠邦による改革。「株仲間」の解散など。 ◎享保の改革、寛政の改革とセットで覚えておこう。 【1853】ペリーが浦賀に来航する ◎翌年に日米和親条約が締結された。鎖国政策の終焉。 【1858】日米修好通商条約が結ばれる ◎この条約のため、明治・大正時代まで外国との不平等な関係が続く(領事裁判権の容認、関税自主権の放棄)。 ◎井伊直弼らが、日米修好通商条約に反対する人たちを「安政の大獄」(1858)で弾圧。その後、井伊直弼は桜田門外の変(1860)で倒される。 【1862】生麦事件 ◎薩英戦争(1863)のきっかけになった事件。 【1864】下関の砲台が四カ国連合艦隊に占領される →この時期に激しくなっていた「尊皇攘夷運動」だが、薩摩藩・長州藩はこれらの出来事をきっかけに「攘夷」が不可能と判断し、倒幕を目的とした「薩長同盟」が成立(1866)する。 【1867】大政奉還。徳川慶喜の時代で江戸幕府が滅びる→明治時代へ
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